地元書店で満足する生き方(テレビがつまらなくなった理由)

書店3分の2に減少…ここ1年は1日1店姿消す

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20140613-OYT8T50220.html

 

今日、こんな記事を見かけた。どうやら記事によると、「街の本屋さん」の数が激減しているという。言わずもがな、原因はAmazonを始めとするネット販売。

しかし、それだけでは無い気がする。

 

一方こんな記事も見かけた。

テレビがつまらなくなった(裏側の)わけ

http://blogos.com/outline/91459/

この記事は、フジテレビの長谷川アナが提起した「テレビがつまらなくなった訳(これ自体に観る価値はない)」という議論にたんを発したメディア論である。

 

筆者によると、片岡英彦氏の

テレビがつまらなくなった(本当の)訳

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kataokahidehiko/20140729-00037771/

で提起された、作り手側の不真面目さや、ソースのいい加減さに原因があるという議論を受けて展開された。

 

筆者の永江氏によると、現在ではテレビというメディアは、情報に対してパッシブな層(情報弱者)に対して特化しているという。逆に言えば、情報に対してアクティブな層は、テレビの情報に満足せず、ネットで最新の情報を取得する。

これをキャズム理論で言うと アーリーアダプター(情報強者)とレイトマジョリティ(情報弱者)というのだそうだ。

 

そこまで議論を見通した時、最初の「街の本屋」のニュースとつながるところがあった。

それは「どうして自分が街の本屋さんを使わなくなったか」ということ。

この理由は簡単である「僕の欲しい本が置いてないから」である。小さな「街の本屋」さんにしても流通の末端である、いや流通の末端であるからこそ「売れるもの敷か置かない」 漫画だったり、週刊誌だったり、売れ筋の文庫本だったり。それは「最大多数の最大幸福」であって、世の中のレイトマジョリティ向けである。

そこにない本はどうするかというと、アマゾンで取り寄せるか、都会の大規模書店に赴くしか無い、つまり流通経路を遡るしかない。そこにまで行けば、一般に流通していない、実用書や専門書、英文雑誌など、自分が欲している情報を手に入れることができる。

つまり「情報源までアクティブに動ける(動くことが苦にならない」というのがアーリーアダプターの必要条件ではないかと思う。

しかも情報源にまで辿り着いても、それが「良いものなのか、悪いものなのか」「正しいのか、間違っているのか」「役に立つのか、立たないのか」判断する能力(リテラシー)が求められる。ある意味アーリーアダプターでいるということは、投機なのかもしれない。

一方でレイトマジョリティであることにもメリットがある。リスクを負わずに、「最大多数の最大幸福」を享受することができる。

 

こうやって概観してみると、「貴方は地元書店で満足するか?」という問いへの答えこそが、その人の情報に対する向き合い方、いや生き方そのものを表している気がする。

 

(ちなみに、代官山蔦屋書店のように、都会の大規模書店は、売れ筋でも、品揃えでもなく、オシャレという基準で専門書や雑誌を取り扱っているようである)

 

※この議論は、マイルドヤンキー論(あまり好きではない)やB層論とも結びつきそうな気がする。